【自己受容】自分で自分を正当化!自分を好きになれなきゃ人生成功しない~楽生暮の過去(小・中学校篇)~

こんにちは。楽生暮です。

今回のブログ記事「【自己受容】自分で自分を正当化!自分を好きになれなきゃ人生成功しない」ですが、夢や目標叶えるため、過去と向き合う必要があると考えたため、書くことに決めました。

私の過去なんて誰が興味あるねん!とも思ってしまいますが、

以前投稿した「夢を叶えるPDCAサイクル。聞いたことはあるけれど実際に使えていますか?」でも書いた通り、

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→理路整然、納得、理解を得てもらえる記事を作成し続ける

という夢が叶った時、「楽生暮ってどういう人?」と興味を持ってくださった方のためにも書きたいと思いました。

また、冒頭でも書いた通り、自分の過去と向き合うと言うことは、うれしかったことも、苦しかったことも見つめ直し、自分を励ましたり、自分に足らない所を知ったりする自己分析に必要だと思っているからです。

また、私の生き方や考え方で執筆や講演活動もしたい!と思った今、過去を可視化することで、私自身を表すことができます。

今からこれを始めておかないと、もうすでに人生34年(もうすぐ35年)が経過しています(笑)

1つ1つのエピソードを拾い上げていくと、もの凄い時間が必要になっていきます。

記憶の整理のためにも、書きたいと思った時に、書いて行き、また随時思い出したこと、書き足したいことを更新していこうと思います。

しっかりと記憶のある小学校時代から始めて行きます。

☆小学校

私は、小学校に入った頃から、「何で学校って行かないとあかんの?」と思いながら、日々生活していました。

そもそも、入学前に両親や周りからから学校に行く必要性を説明してもらっていなかったからです。

分からないままランドセルを背負い、分からないまま母に「遅れる」と言われ、家を追い出され、分からないまま、分からない授業を受けて、小学校を卒業しました。

国語と音楽と体育が好きで、ものごとを理屈で考える性格だったため、何となく他の教科も理解できていました。

国語の能力が生まれながらに備わっていたことは、本当に感謝しています。

学校へ行くと一部の女子からですが、分からない「無視」を受けました。
辛かったですが、一部だから良かったです。一緒に遊んでくれる友達もいました。

家に帰ると「労働」がありました。「お手伝い」とも言い換えることもできますが、毎日の洗濯物たたみ、夕飯作り、お風呂掃除、、、

今となっては共働き家庭に、子供たちも家事の戦力として必要なことは分かりますが、当時は「やらされている」気持ちしかなかったため、私には「手伝い」ではなく、「労働」でした。

私には兄と妹がいますが、母に「あんたたちは学校に行ってるだけ。私は働いてるんやで」
こう言われた記憶が今でも鮮明に覚えています。

働かないと家族を養えないことは分かります。
けれど、戦力が欲しいなら、希望通りの結果を求めるのなら、「育て方」、気持ちよく手伝ってもらう「指導」は必要だと思います。

家族の誰もが、毎日、イライラして、家族間、きょうだい間もいつもトゲトゲした雰囲気が充満していました。

両親もよくケンカをしていました。
幼少期は家を出て行く母親を、泣きながら追いかけましたが、

物心ついた頃には、ケンカ声が聞こえることが「嫌」になり、部屋に閉じこもっていました。

「何でこんな嫌な思いしないといけないんやろう?」自然と考えるようになりました。

「反面教師」
いつ頃からか忘れましたが、私の心の中に「絶対にこの人(両親)みたいにはならない」という気持ちが芽生えました。

☆中学校(1年生篇)

中学校に入学して「ズル休み」を覚えました。親を装い自分で学校に電話をして休んでいました。

担任は親ではなく、私であることを分かっており電話ごしに「楽生暮やろ?」と聞いていましたが、無理に来させようとはしませんでした。

休めてうれしい反面、相手にされていない、休んではダメだと何故叱らないんだろう?と疑問と寂しい思いがあったのを今でも覚えています。

担任から休んでいたことが、親(母親)にも伝わっていましたが、特に咎められることはありませんでした。

母にとってはどうでもいい問題だったため、母から父に話すこともなかったと思います。

「休んでも怒られない」ますます学校に行く意味が分からなくなりました。

でも、何故か「休んではいけない」という気持ちもあり、1ヶ月休んでは、1週間行き、1週間休んでは1ヶ月行き、、、
と自分のペースで1年間通いました。

もちろん勉強はまったくついていけません(笑)手を差し伸べる教師にも出会えませんでした。

☆中学校(2・3年篇)
中学2年生の時、母方の祖父母と同居するため転校することになりました。

「新しいことがはじまる」という期待に胸が躍ったことを覚えています。

家庭内はこの同居がきっかけでさらに悪化してしまいますが(これはまたブログに書きます)、

自分自身の「学校」、「教育」という問いには答えが出るきっかけになった転校でした。

転校が新しい自分を作りたいと思ったきっかけだったことは間違いありません。

本当の風邪の時以外、休むことはなくなりました。

分からない勉強については、先生方、クラスメイトが教えてくれました。

とても恵まれた環境に転校できました。

高校受験を控えた中学3年生の時、進路選択として高校説明会がありました。

普通科、工業科、私立、などなどいくつかの候補の中から、自分の興味のある学校に見学に行くことになりました。

「単位制普通科」、制服なし、髪型自由、アルバイトOK

このような文言が書かれてた学校案内を見た記憶があります。

この時期には「自分が普通じゃない」と思っていたので、ものすごく惹かれた文言であったことは言うまでもありません。

即決でこの学校の高校説明会に参加する答えを出し、説明会後には「この高校に入りたい!!」と強く思うようになっていました。

高校説明会から受験まで本当に少ない期間だったと思います。

初めて勉強に対する焦りが出ました。当時の成績と入学に必要な偏差値には、それほど大きな開きはなかったのですが、本命はこの1校だけでしたので、頑張りました。

自分1人ではなく、当時の担任と、自分も受験生なのに、私の勉強に付き合ってくれたクラスメイトには感謝しかありません。

ありがたいことに無事に受験を突破し、その高校に入学することができました。

一見聞くと「単位制普通科」に偏見を持ち、両親は反対すると思っていましたが、無関心が災いし、何もいいませんでした。

【自己受容】自分で自分を正当化!自分を好きになれなきゃ人生成功しない~楽生暮の過去(高校・フリーター篇)~」に続きます。

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