【備忘録 】18歳~35歳までの過去

フリーター生活を経て

高校卒業を迎えた18歳の終わりに父がリストラにあいました。進学先も決定しており父は「家の心配はいいから進学しなさい」と言ってくれました。けれど家にはお金がないことを知っていました。
また私の中で「この未来、この選択で本当に一生食べられる仕事に就けるのかな?」と、こんなにも簡単に将来を決めていいのかとの疑問が生まれ、進学をせず「本当にやりたいこと」を探すためアルバイトをしながら自分探しをすることにしました。

飲食店を中心に丸4年さまざまなアルバイトを経験しました。ファミレス、居酒屋、和装スタッフ、旅館の住み込み、パチンコ店、水商売、工場スタッフ、、、貯めたお金で海外留学も経験しました。同時にエステの勧誘にあいカードローンも組んでいました。

フリーター生活2年を迎えた頃には完全に自分を見失い、ローンの返済と生活費、毎月のお給料はあるだけ使う日々を過ごしていました。

「このままじゃいけない」
アルバイトで生活をし続けるには限界がある。けれど自分のしたいことが見つからない。
貯まらない預金通帳を見ながら、将来についてものすごく考えた20歳の誕生日。

「ちゃんと働こう、正社員を目指そう」
学校も卒業してしまっているため、相談できる大人は身近にいませんでした。当時普及し始めていたインターネットで情報を収集していました。
うそか本当かは今でも分かりませんが「正社員は大卒以上」このような情報を沢山みました。

またどんな学部で学びたいのか?も真剣に考えました。
「人について知りたい!」人はどうして怒るのか?どうして争いが起きてしまうのか?その心理を学びたいと考えていました。
また当時サスペンスドラマや海外の推理ドラマが大好きでその影響から犯罪心理学を学ぶことを決めました。

「大学って。。。やっぱりお金がいるんだな。今すぐには無理だけれど、これを目標にお金を貯めよう」
そこから2年がむしゃらに働きました。けれど400万円近い大学資金を準備することができずに22歳を迎えていました。

インターネットで検索すると「奨学金」があることを知り、
「貯まるまであと何年かかるかわからない!正社員になったら絶対に返せる!」
根拠ない自身でしたが、奨学金を借りながら大学へ行く決意をしました。

大学の入学資料を取り寄せて初めて父に「貯金と奨学金を使って大学へ行くこと」を伝えました。願書が手元にあるため本気だと悟った父は何も否定せず「頑張れ」と言ってくれました。
最終的に授業料の大半は負担してくれました。

大学4年間と念願の正社員生活

ここから運気はぐっと上向きます。
大学では知りたかったことがどんどんわかる環境で本当に楽しい4年間を過ごせました。
カードローンの返済、生活費、授業料、準備しないと行けないお金が沢山あるため講義が終わってもアルバイトを深夜までする生活を送っていましたが、楽しくて仕方がありませんでした。

いつしかカウンセラーになりたい夢を持ち始めていました。けれど当時カウンセラーになるには大学院を卒業しなくてはいけなくて、26歳から大学院を目指すという選択は、奨学金の返済もあるし、結婚も出産もしたい私にとってとても叶えられるものではありませんでした。

23歳から交際をしていた今の主人と離れたくないこともあり、就職先は全国展開していない地元だけの就職先に無事決まりました。1年目の夏のボーナスであっという間にカードローンは返済でき、就職してからは1人暮らしを始めていましたが、貯金も開始できるようになっていました。

就職先ではさまざまな職種を体験させていただきました。辛かったこともしんどかったことも沢山ありましたが、過去の体験と比べると何1つ及びませんでした。

結婚と出産

正社員として働き始めて7年目、主人と結婚することになりその1年後に長男を出産、続けて次男を出産しました。

正社員としての夢を叶え、結婚もでき、子どもも授かり本当に幸せいっぱいでしたが、少しずつバランスが崩れ始めました。

1番大きかったできごとは実夫が倒れたことです。実家のいざこざが嫌で極力近づかないようにしていましたが、その実家を支えていた父が倒れてしまいました。父のストレスの原因はわかっていたため当時生後5ヵ月の次男を抱えながら、実家と親族との元を行き来する日々が続きました。

嫌いな親族は身内です。私もこの血が自分に流れているのかと思うと自分の存在も嫌になってきていました。

親族トラブルも終息してきて、次男が1歳になると同時に保育園が決まりました。今まで何でも自分の力で乗りこえ、頑張っていた身体でしたが慣れない2人育児と仕事、それ以前の親族トラブルでの精神的ストレス、、、、心身は限界でした。

仕事も時短制度を活用していましたが、時間内に終わる仕事量ではなく、早く作業すれば失敗し、失敗を恐れていては時間内に終わらない。終わらない仕事を翌日に持ち越す憂鬱感、その感情での育児、家事、、、目の前にある仕事とつねに時間に追われている恐怖感で気持ちはめちゃくちゃでした。

子供の前では笑顔でいたいのに、、、、できない自分に腹が立ち、できない自分に悲しくなり、笑顔とは真逆の帰宅したら泣きじゃくっている自分がそこにはいました。

不安そうに見つめる我が子の顔は今でも忘れません。

「こんな親族の元に生まれてきてしまってごめん!」
「こんな弱い母ちゃんでごめん!」

そう思いながらも
「こんな気持ちになるために子どもを産んだんじゃない!」
「子どもに伝えたいのは、ごめんじゃなくてありがとうやねん!!!!」

人に頼ることが分からず、人との関係を極力避けることを選んできた私のもとに、この子たちはやってきてくれた。

生まれたその日から120%の信頼で泣き、私を見つめ、私がどんな過去を持っていたかなんておかまいなしに笑いかけてくれる純粋無垢な笑顔。

その笑顔を私がなくしている。。。。。

仕事をすることも、結婚をすることも、子どもを産むことも、育てることも決めたのは私。

この中で優先順位が低いものが仕事。奨学金の返済もあるし、これからの子育てにもお金はかかるから仕事は必要だけれど、この環境はだめだ。

正社員を目指して実現した夢は、新しくできた子育て優先の夢のもと2017年の夏に幕を閉ざしました。

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