【自己受容】自分で自分を正当化!自分を好きになれなきゃ人生成功しない~楽生暮の過去(高校・フリーター篇)~
☆高校
人生で初めて、楽しいと思える学校生活でした。
制服なし、髪型自由、アルバイトOK。
自由の裏にある「厳しさ」、「責任」を教えてもらった学校生活でした。
授業の出席もきちんと「単位」を取れれば自由。大学のような授業スタイルでした。
同じような価値観、人生背景の人が集まっていたと思います。
高校生活をやり直すため、年上の同級生も何人かいました。
学校に行きにくい感情を抱えながらも、何とか前に進みたい。
私が通った過去とは違いますが、私のような何かに苦しむ同級生が沢山いました。
みんな、生半可な決意で入学した訳ではなく、自分で決めた道だからこそほとんどの人は卒業しました。
この3年間は、アルバイトをしながら学費は自分で払いました。親にはもう依存したくなかったからです。
学費が払えたのも、この「単位制」というシステムが当時では「通信制の学校」という分類に入っていたらしく、普通の高校よりも遙かに安い授業料だったからです。
そのため学費を払うことに加え、貯金もできました。
アルバイトをしていたので、この頃から自分を探すため、色々な本を読み始めました。
心理テスト、小説、成功哲学の本、虐待を抱えた人が書いた本、、、
本を読めば自分が生きている意味、自分の存在価値を探せると思い、興味が出た本は色々と読みました。
本を読むと何か答えが見つかると思っていましたが、答えはありませんでした。
けれど、何か心が軽くなる気持ちが心地よく、機会があれば本を読んでいました。
この頃から今の自分も好きな、キーワードの本を無意識に手に取り読んでいました。
高校3年生の卒業後の進路を考える頃、父親がリストラに合いました。
☆高校卒業後のフリーター
高校卒業前の次の進学先も決めた矢先、父親がリストラされたことにより、進学を止めました。
諦めた訳ではありません。
お金がなかった訳ではありません。
父も進学を勧めてくれました。
けれど自分が決めた進学先が「本当に」やりたいことなのか、父のリストラをきっかけに「ずっと食べていける仕事」なのか分からなくなったからです。
当時の選んだ進学先は、盲導犬の訓練士の専門学校でした。
誰かの役に立ちたくて、盲導犬の魅力に惹かれ選んだ学校でしたが、一生続けられるか、望む報酬を手に入れられるか。こんな風に考えていました。
こんな中途半端な気持ちで進学しては行けない。と思い、願書を出すことをやめ、アルバイト生活を送ることに決めました。
高校卒業後すぐに運転免許を取得するために、(家を出たくて)合宿ができるところに行きました。
フリーター生活半年目には、自分の居場所がどこか分からなくて、また英語にも興味があったため、アルバイトで貯めたお金を全額使い海外留学(といっても2週間)、、、
ほとんどホームステイと語学学校が体験できる旅行(笑)に行きました。
帰国後は、貯金がなくなったため、またアルバイト生活の毎日です。
何のために生きているのか分かりませんでした。
最終的にこのフリーター生活は4年間送ることになるのですが、その間沢山のアルバイトを経験しました。
飲食店、サービス業が中心でした。水商売もあります。
飲食店は楽しかったです。何かを提供すると「ありがとう」と言ってもらえ、それがうれしくてまた仕事をする。また「ありがとう」につながる。
とても良い経験でした。働きぶりが認められ、上司に褒められたり、同僚に褒められたりしたことも自分の自信につながりました。
小学校時代の家事労働が、ここではとても役立ちました。
掃除をすれば誰かが喜ぶ→褒められる
作っていたからわかる、料理は温度が命→褒められる
つねに両親の顔色を見て育ったため、どうすれば相手が不快にならないか。も分かり、活かせていました。
けれど、「自分の居場所はここだ!」と思える場所ではありませんでした。
またこの頃「【トラウマ】受け入れ、噛みしめ、乗り越えることは、他人にとっては小さな一歩だが、私にとっては偉大な飛躍」に書いた出来事も起こりました。
家を出たいのに、まだ出られていなくて、そんな自分も嫌で温泉街に住み込みのアルバイトもしに行ったことがあります。
けれど結局半年で帰ってきました。
アルバイトをしていたらお金は貯まっているはず。と思う方もいるかと思いますが、
この当時の私はギャンブル(パチンコ)もしていました。
この頃ちょうど20歳の頃です。
20歳で得た私の経験ってなんだろう?
私の存在価値ってどこにあるんだろう?
20年間の私の人生何なんだろう?
過去を振り返っても、取り柄もなければ、輝ける記憶もなし、、、、
未来に希望はありません。
それでも「私はこんなもんじゃない」という気持ちだけはありました。
根拠のない自信です(笑)
でも、未来は必ず変えられると思っていました。
まず、このままアルバイト生活を送り、一生を終わらせる生き方は、どれくらい稼げ、どうなるのかということを、自分なりに考えました。
理想とする未来はそこにはありませんでした。
飲食店、サービス業をすることは、とても楽しかったですし、やりがいも感じていました。
けれどアルバイトである収入に不満でした。
深夜営業も経験したため、こんな不規則な生活はこれからずっとあり得ない。
そう考えました。
じゃあどうする?
当時の自分がとことん考え抜いて出した結論は、「大学へ進学して、新卒で正社員採用してもらう」ことでした。
フリーター生活が3年過ぎていました。21歳です。
これから大学資金のお金を貯めていたら、いったい、いつから大学へ行けるのか?
他に方法はあるのか?
大学を検索しながら、資金をどう捻出するかも考えました。
「大学では絶対に興味のあることを学ぼう」
そう決めて、とことん自分の好きなことを正直に追求しました。
今思い返せばこれが、人生初の自己分析です。
好きな本、映画、テレビ、価値観、考え方
とことん自分のことを見つめました。
そして、「心理学」を学ぼうと思いました。
お金を貯めてから学ぶべきか、今から学ぶべきか。。。
大きな問題でした。
その時も将来設計を真剣に考えました。
「子供は欲しいかもしれない」
自分の親との関係もありましたので、絶対ではありませんでしたが、産んでみたい気持ちはありました。
そこから逆算して考えることにしました。
・もし、今から大学に入ったら22歳で、4年間は学生。26歳で就職。。。産める可能性はある
・お金を貯めてから、大学へ進学、そこから4年間、そして就職
後者はいつお金が貯まるか予測不能でした。その間脳の老化も進みます(笑)
そもそも、きちんと就職すれば、借金しても元は取り返せるのではないか?
この時「投資」という精神が宿ったのだと思います。
お金で時間を買うといえばいいのでしょうか。
いつ目標金額が貯まるかわからない、脳がしっかり知識を吸収できるのは、明らかに若い方が得
私はすでに、普通の人から4年遅れている。。。これ以上時間は使えない。
そう考えました。
銀行や国の教育ローンがあることは、大学を検索している時に知りました。
そこから、さらに調べ、奨学金があることも知りました。
望めばその情報は、自分の元へやってくることが分かりました。
親には頼りたくなかったため、この奨学金制度を利用することを決意しました。
入学金はアルバイトで貯めたお金でまかないました。
願書を手に入れてから、親に大学に進学する旨を伝えました。
私のきょうだいは誰1人として大学に進んだ者はいませんでした。
父は大変喜んでくれ、「誰か1人は大学に行くと思ってた、望みやった」と言いその後、卒業まで一部学費をサポートしてくれました。
全額学費はサポートすると言ってくれましたが、リストラ後ずっと家で過ごす父からは受け取ることはできませんでした。(その間全ての家事は父がしていましたが)
私の大きなターニングポイントは、この時期にあったと思います。
私が私自身で考えるどん底は、ここまででした。
ここまでで、家族についてはほとんど書けていません。
まだうまく家族に対する思いや、思い出をうまく消化できていないからです。
家族といっても1番の根源は母親です。
子供にとっての母親の影響は良くも悪くも絶大です。。。
負の感情を大きくしてしまうと、自分も同じようになるのではないか。と不安で潰されそうになります。
自分が苦しいと思っている過去を表に出すことは、本当に体力を消耗します。
今家族のことを可視化してしまうと、特に母に関して自分の中に残っている怒りや苦しみ、負の感情だらけのものになってしまうと思うからです。
それでも、いずれ近い内には文章に書き出せると思っています。
書かないと前に進めないと思っているからです。
母と私は親子ですが、別人です。
血はつながっていますが、別人です。
前回の小・中学校篇からここまで、一気に書くことが出来ました。
次は大学篇から書いていきます。
私の過去を読んでくださって、お付き合いいただいて、本当にありがとうございます。
感情を外に出せたことだけでも心がすっきりし、大きな進歩につながると思っています。
人間は機械ではありませんが、「容量」がいっぱいになるとやはり動けなくなると思います。
ここで、今までのメモリーを整理し、新しい未来へのスペースを確保します。
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